昭和51年8月22日 特別奉修委員
只今ご祈念中に、ちょうどまあ、この位ばっかりの、人数の、あの、相撲取りの卵というんのでしょうかね、あの、まだ丸坊主の、一生懸命、あの、相撲の稽古をしておるところを頂いたが、その御心眼に頂きながら、あの、こげな痩せたつが相撲取りになれるもんかいちゅうごたあるとがいくらもおってね、だから私は思わせて頂いたんですけれども、最近太くなるとか豊かになるとかという、その、痩せきれておっていくら力んだ所で、たいした力は出らんというふうに申しますが、そのことだと思うんですけどもね、だから皆さんでも、あの、まず一つ本気であの太ることに、精進しなければいけない。
それにはね、あの、いわゆる、あの何でも、それこそなんでもの願いというか、何でもかんでも、まぁ頂くといったような、頂き方ですけれど、その、それが分かっておりながら、あの、今日はあの、和子さんのお届けだったでしょうか、おかあさんが、お夢頂かれたという、あの、原さんが久保山さんとこ、なんか頼みに行ってある、お母さんが、もうこと神様のことなら、もう、どげなこっても、まあ、引き受けますよ、というような意味の返事をしておられるところを頂いた、という。
だから、あの、これでいかにもよかろうごとあるばってん、これじゃ、いけんです。
も神様ごととじゃ無いほかのことであっても、あ、それが相手が信心がないものであっても、あのやっぱりその生き方でいかなければ、あの、太らんということです。
も信心の面だけを、こと神様ごとならもう、やります、ということでは太らん、ということです。あの、どうでも一つおかげを頂いて、あの、信心のない世界に行っても、又、それが相手が信心がなくても、やはりあの、こと神様のことというのじゃなくて、こと全てのことが、何でもかんでも頂くということだ、ということですよね。
ですから、あの、でないと太らない、まぁ、ちょうどここに居られる人数ぐらいの方達の中に、ちっと肥えたつもおりゃ、痩せきれたつもおるということですよ皆さん。だからね、どうしてそれが太らんか、ということでね、一生懸命稽古はしよる。ばってん痩せきれておてから、やっぱいくらりきんだっちゃ、力つかんです。
だからやっぱ肥えることに、一つ本気にならして頂いて、まあ、いうなら、あの、お広前居る時も、または、自分の家庭であっても、あの、またはそれが全然信心のない世界に入っても、同じような生き方を、身に付けて、そして何でもの願い、とね、泉尾の先生が言われる、なんでも、いうのなら、何でもかんでも頂くという、そう言う信心にならんと、結局片寄りになってね、栄養が、結局太らんということになるのじゃ無いだろうか、と思います。
どうぞ。 (大坪かよこ)